我が家の4歳娘が大好きな絵本の一つ
「本所ななふしぎ」文:斉藤洋 絵:山本孝 偕成社
よく自分で、この「本所ななふしぎ」の絵本を出してきては
「えどじだいの おはなしです
ほんじょは、すみだがわの ひがしがわにあって・・・」
と、1人で読んでいます。
今回は、本所七不思議の舞台へと、お出かけしてみたいと思います。
本所七不思議とは・・・
江戸時代に本所界隈で起こったとされる、怪奇現象や心霊現象を 七つにまとめたお話です。
七不思議と言いますが、実際は七つ以上のお話があり、作者や、まとめる編集者によっては入るお話がまちまちです。
それと、どのお話の舞台も、当時の記録があまりないので、これまた本や資料によって、まちまちで、けっこうあいまいです。
この、あいまいなところも含めて楽しめるのが、本所七不思議の魅力なのかもしれません。
大横川親水公園にある本所七不思議のレリーフ
それでは、この絵本に描かれているお話の順序で、本所七不思議の舞台を1話づつ訪ねて行きます。
(各お話は、絵本を元に要約しています)
第一話 おいてけぼり
江戸時代、本所の川や堀ではよく魚が釣れたそうです。
たくさん釣れた魚を持って、ある堀を通りかかると
「おいてけ〜 おいてけ〜〜」と不気味な声が・・・。
家に帰って、びく(魚を入れておくカゴ)をのぞくと
たくさんいたはずの、魚が一匹もいなくなっていましたとさ。
「おいてけぼり」の舞台
おそらく、本所七不思議のなかでも、特に有名な「おいてけぼり」の話。
おいてけぼりの舞台は、ここだったのでは?という説は、随所に見られます。
今回は、錦糸町駅の南側にある「錦糸堀公園」へ
錦糸堀公園へ向かう、歩道には「おいてけぼり」のイラストもありました。
現在、錦糸堀公園には、堀は埋め立てられてありません。
公園の片隅に、河童の石像と「おいてけぼり」の説明の高札がありました。
なるほど「おいてけ〜」と言っていたのは河童だったのかもしれません。
よく言う「置いてきぼりを食う」の語源は、この話から来ているとか。
それにしても、可愛いカッパさんです!
第二話 あしあらいやしき
ある旗本の屋敷であったとされるお話です。
夜になると、屋敷の天井が、みしみしときしんで
突然、天井がやぶれて
「足をあらえ〜!」と大きな足が出てくるそうです。
足を洗ってあげると、ひっこむのですが
足を洗わないと、家中の天井をふみぬいてしまうそうです。
これが毎晩のように続き、この旗本は、引っ越して行きましたとさ。
「あしあらいやしき」の舞台
国立民族博物館に残っている「本所七不思議 足洗邸」 の浮世絵には
「本所三笠町 幕府の旗本 味野岌之助が屋敷」と記されています。
本所三笠町は、現在の北斎通りの亀沢界隈だったと推測されます。
本所は、関東大震災、東京大空襲と一面焼け野原になってしまったため、古い建物はほとんど残っていません。
足洗邸の案内や高札も探してみましたが、見当たりませんでした。
第三話 おちばなきしい
松浦という、さむらいの屋敷には、しいの木がありました。
どんなに風が強い日でも、なぜか不思議と一枚も葉が落ちなかったそうです。
「おちばなきしい」の舞台
「江戸切絵図 本所絵図」国立国会図書館
絵本の本所七不思議にも「松浦という さむらいのやしき」とありますが、江戸時代に発行された江戸の切絵図にも「松浦豊後守」と記載がありました。
平戸新田藩(長崎の平戸藩の支藩)松浦豊後守の上屋敷に実際にあった、しいの木だったようです。
しいの木は、維新を乗り越えて関東大震災まで、この地にあったそうです。
場所は現在でいうと、つい最近まで両国公会堂があった場所です。
(両国公会堂の跡地は、代々木にあった刀剣博物館が、ここに移転してくるそうです)
しいの木は、ドングリの木です。
落ち葉がなかったことも、「奉公人がよく掃除をしていたから」「しいの木が枯れていたから」など、落語の落ちのような話もあります。
椎の木は、殿様よりも名が高し
と、(少し失礼な)川柳にもうたわれたほど、有名だったようです。
それにしても、この話、わざわざ七不思議にのせるほどの不思議な話でしょうか??
第四話 たぬきばやし
真夜中になると、聞こえてくる笛や太鼓の音
その音をたどっていってみると、だんだん自分がどこにいるのかわらなくなります。
そして、夜が明けてみると、ぜんぜん知らない場所に来ているのでした。
たぬきばやしの舞台
実はこの話、実際にこの不思議な囃子を聞いたという人物の、正式な記録が残っています。
その人物は、現在の長崎県平戸地域を治めていた大名、肥前平戸藩 第九代藩主松浦静山(1760〜1841)です。
静山は晩年、本所の下屋敷で隠居生活を送っていました。
その静山が書き残した随筆集「甲子夜話」(かっしやわ)に、
予が荘のあたり、夜に入れば時として遠方に鼓声をきこゆることあり。
世にこれを本荘七不思議の一と称して、人も往々知る所なり。
因て其鼓声をしるべに其処に到れば、又移て他所に聞ゆ。
予が荘にては辰巳に当たる遠方にて時として鳴ることあり。
この七月八日の夜・・・
甲子夜話続編 4 松浦静山 著 中村幸彦 中野三敏 校訂 東洋文庫 平凡社より
静山によると、屋敷のあたりでは夜になると、しばしば鼓声(囃子太鼓)の音が聞こえていたとか。
ここに記されている、この七月八日の夜は、特によく聞こえたようで、屋敷の南方でしたかと思えば、屋敷の中でやっているのかと思うほどすぐ近くで聞こえたり、未申(南西)の方角に遠ざかったりとしたので、家臣に探索させたとあります。
しかし、正体は見破ることができず、結局はどこへ消えて行ったのかもわからなかったようです。
「江戸切絵図 本所絵図」国立国会図書館
松浦静山が隠居していた平戸藩下屋敷は、現在の墨田区立本所中学校界隈。
というより、本所の様々な場所で聞こえていたそうなので、舞台は本所一帯と言ったほうが良いかもしれません。
第五話 かた葉のあし
両国橋のそばに 駒留橋という小さな橋がありました。
その駒留橋の近くの、あしを、よく見てみると、不思議と片側にしか葉がないそうです。
昔、このあたりで女の人が殺されたそうです。
かた葉のあしの舞台
この話の舞台の場所は、現在の両国橋のたもと(墨田区側)。
両国橋の近くには「駒留橋跡」「片葉の葦」「藤代町跡」の高札が並んで設置されています。
葦が片方だけにしか葉が生えないようになった謂れは、
本所横網町に住んでいた留蔵という男が、三笠町のお駒という女性に一目惚れ。
留蔵は何度もアプローチをしますが、お駒は見向きもしてくれません。
ある日、そんなお駒に腹をたて留蔵は、お駒の片手片足を切り落とし堀に投げ捨てて殺害したそうです。
それからというもの、ここに生える葦には、葉が片方しかはえなかったというもの。
隅田川の対岸、台東区側の吾妻橋近くに葦が生えていました。
こちらは両方から、葉を出しています。
第六話 あかりなしそば
いついっても、誰もいない屋台の蕎麦屋がありました。
どれだけ待っても店の主人は、やってきません。
そのあいだ、いくらたっても行灯の灯りは消えなかったそうです。
いたずらをして、灯りを消そうものなら、どんなたたりがあるやら・・・。
絵本では、このような話です。
絵本の内容に突っ込みをいれるようで少し恐縮ですが、これでは「あかりなしそば」ではなく、「あかりありそば」のような・・・。
実はこの話には、類似の話が2種類あります
-
消えずの行灯:いついっても、人がいなく、ずっと行灯の灯りがついていて消えない話
- あかりなしそば:いついっても、人がいなく、ずっと行灯の灯りがついていない話
おそらく絵本は「消えずの行灯」の方を元にしたと思われます。
あかりなしそばの舞台
「あかりなしそば」または「消えずの行灯」の舞台は南割下水、今の北斎通り界隈です。
北斎通りの電灯は、行灯を模したデザインになっています。
本所割下水の案内にも「あかりなしそば」についても記載がありました。
第七話 おくりちょうちん
夜道、ちょうちんを持たずに歩いていると
先の方で、ちょうちんの灯りが見えます。
追いかけていっても、いっこうに追いつきません。
気がつくと知らないところに来ています。
これはタヌキの仕業。
でも、これがキツネだと・・・
うしろから、女にちょうちんを差し出されて歩いて行くと、
とても恐ろしい場所に案内されて、帰れなくなってしまうとか。
おくりちょうちんの舞台
舞台の場所は、墨田区太平にある法恩寺界隈とされています。
法恩寺のそばに、江戸時代に掘られた運河、大横川がありました。
現在は、錦糸町あたりから、スカイツリーのある押上のあたりまで約1800mも続く大横川親水公園として整備されています。
吊り橋や、遊具、釣り堀まであって、とても楽しめる公園です。
この大横川親水公園に、冒頭で紹介した本所七不思議のレリーフもあります。
この本所七不思議の本は、以前、お出かけした東京国際ブックフェアで、娘が自ら選んで来た絵本でした。
かなりの頻度で自分で出してきては読んでいる、当たり本でした。
絵にも独特なインパクトがあり、子供だけでなく、大人も読んでいて楽しめる絵本です。
江戸の不思議な世界へ、絵本で旅立ってみてはいかがでしょうか?
参考図書
絵本 本所ななふしぎ 文:斉藤洋 絵:山本孝 偕成社
東洋文庫375 甲子夜話続編 4 松浦静山 著 中村幸彦 中野三敏 校訂 平凡社
殿様と鼠小僧 松浦静山『甲子夜話』の世界 氏家幹人著 講談社学術文庫
両国歴史散歩 高札めぐり 墨田区観光協会
古地図で巡る 江戸の怪談 双葉社