いきなりですが、今日(記事を書いたている日)5月16日は「旅の日」。
330年前の今日、松尾芭蕉が「奥の細道」へと旅立った日を記念して「旅の日」とされたそうです。
ということで、今回は「奥の細道」で松尾芭蕉も訪れた、栃木県那須町にある殺生石について少し。
最寄りの駐車場に止めて、賽の河原を歩いていきます。ものすごい硫黄の匂いです。
この辺りは湯の花の採取場にもなっているそうです。
教傳地獄
殺生岩へと通じる木道の途中に、千体ものお地蔵さんは並んで立っておられました。
この辺りの名前は「教傳地獄」。
「教傳地獄の由来」と書かれた案内を要約すよると
後醍醐天皇の頃、教傳という悪さばかりをする小坊主がいました。
その悪ガキの小坊主も、28歳になり住職となります。
そんなある日、友人と那須温泉へ湯治に行くこととなりました。湯治へと出かける朝、母が用意してくれた朝食を「まだ旅支度もできていない!」と怒り蹴飛ばし、そのまま出発してしまったそうです。
その悪業のためか、教傳が殺生石を見学するためにこの地を訪れた時、突如火炎熱湯が吹き出し、教傳は火の海の地獄に落ちて命を落としてしまったとか。
江戸時代も、ここは親不孝への戒めとして参拝する人が多かったそうです。
そんな話を聞き、あわれに思ったのか、5歳娘もお地蔵さんに合掌。
親孝行してくださいねw。
殺生石
天気は良くても、どことなく異様な感じのする殺生石。
こちらは有名な「九尾の狐」伝説。
中国の妖怪である九尾の狐(9つの尾っぽを持つ狐)が、日本に渡来し女性に化け「玉藻の前」と名乗り朝廷に仕え日本を滅ぼそうとします。
しかし、陰陽師の阿部泰成(安倍晴明の直系の子孫)に正体を見破られてしまい、ここ那須へ逃げて来ます。朝廷は三浦介と上総介に討伐を命じ、九尾の狐は退治されてしまいます。九尾の狐は、毒気を放つ毒石になり近づく人や獣を殺し続けました。
源翁という和尚が大乗経をあげると、石は3つに割れ、その1つがここに残ったそうです。
那須温泉神社
温泉が湧き出るところには、必ず神社あり。
神社の鈴も硫黄で腐食しています。
昭和天皇御歌碑
「空晴れて ふりさけみれば 那須岳は さやけく聳(そび)ゆ 高原(たかはら)のうへ」
芭蕉の句碑を探しましたが見つかりませんでした。代わりに昭和天皇の歌碑を境内で見つけました。
ちなみに芭蕉が詠んだ句は二句
「石の香や夏草赤く露あつく」
この地に訪れる時に、馬子に何か詠んで欲しいと頼まれて詠んだ句↓
「野を横に 馬引きむけよ ほととぎす」
駐車場に戻り、駐車場のトイレに入ったら、手洗いの蛇口も腐食していました。
殺生石の魔力?恐るべし。