江戸吉原 花魁道中
Edo Yoshiwara OIRAN DOCHU
2019年は、4月13日(土)開催予定です。
今回は、浅草観音裏、一葉桜小松通りで行われた「江戸吉原おいらん道中」を見に、お出かけした記録です。
花魁(おいらん)道中とは
江戸時代、浅草寺のうらにあった吉原には最盛期で3,000人の遊女がいたそうです。
その遊女のなかで格が最も上位の太夫(たゆう)級の遊女が「花魁」です。
本来、朝廷で五位以上を大夫(たいふ)と言っていたので「大」の字の代わりに「太」を当てたところからきているとか。
その花魁が、客のいる茶屋へと出向く行列などを花魁道中と言い、有名な花魁の華やかな行列を一目見ようと多くの見物人が集まったそうです。
花魁道中には、いろいろな配役の人々が行列をつくります。
先頭から少し見ていきたいと思います!
金棒引き、露払い
金棒を突きながら、行列の先頭を歩きます。行列の先導役です。
手古舞(てこまい)、おんな木遣り(おんなきやり)
続いて、手古舞、おんな木遣りと呼ばれる男装をした、芸者さんたちです。
本来、遊女は歌や踊りなどの芸を厳しく仕込まれ、客の要望に応じることができましたが、江戸中期になると遊女の多くは芸事ができなくなったため、芸者を別に雇うようになります。
手には、金棒と、自分の名前の入った提灯を持っています。
本来は木遣りを歌いながら行進したそうです。
提灯持ち
太夫の名前が書かれた大きな提灯を持って歩きます。
今年の江戸吉原おいらん道中は、「象潟」と「藤浪」の2人の花魁が登場しました。
禿(かむろ)
花魁の前や周囲を歩いている少女が禿(かむろ)。
2人の禿が抱えているのは、花魁のキセル入れと、煙草盆。
日頃から花魁の側にいて雑用をこなし、また行儀作法、芸事を仕込まれていました。
花魁、肩貸し
行列の主役、花魁。
花魁(おいらん)の語源は、禿(かむろ)などが自分の姉にあたる太夫を「おいらが姉」と呼んでいたそうで、それが吉原独特の言葉遣いで「おいらん」になったのでは?という説があるそうです。
左に、肩を貸しているのが、名前そのままの肩貸し。
花魁は、三枚歯の高い黒塗りの下駄を履いています。
外八文字と言われる、外側に大きく踏み出す独特の歩き方をするので、肩貸しの肩に手をそえてバランスをとらなければいけません。
我が家の4歳娘は、花魁の歩き方を見て「危ないねぇ。転びそうだねぇ。」と言っていましたが、非常に高く重い下駄を履きながら、外八文字で歩くのは相当の技量が必要だと思います。
実際、花魁の下駄が外れたり、バランスを崩してしまうことは恥とされ、お客のお代をもったりすることもあったとか。
江戸吉原では外八文字(初期の頃は内八文字)、京都島原では内八文字だったようです。
傘持(かさもち)
花魁のすぐ後ろを、傘持の男衆が大きな傘をさします。
新造(しんぞう)
禿(かむろ)から成長し、花魁の見習いとして、花魁の身の周りの世話をします。
吉原の狐の舞ひ
吉原には5つの稲荷神社があり、遊女たちの信仰を集めていたそうです。
遊女たちも、いつの頃からか「狐」と呼ばれていたとか。
江戸時代、吉原で大晦日に狐の面をかぶり「狐の舞ひ」で新年が来るのを祝ったそうです。
我が家の4歳児は、昔話や絵本などに出てくる狐の話が大好き。
「狐さん〜〜!」と呼んでいると、舞ひが終わったタイミングで、タッチをしてくれました。
気さくな狐さんたちでした。
今年(2017年)は吉原開場400年の年。
あいにくの空模様で、途中小雨の降る中でしたが、大人も子供もとても楽しませていただいた江戸吉原おいらん道中でした!
江戸吉原おいらん道中 浅草観音うら一葉桜まつり
場所:東京都台東区浅草 小松橋通り付近
開催時期:毎年4月第2土曜日あたり
2019年は、4月13日(土)開催予定です。