今回は、護国寺へとお出かけした記録です。
護国寺
護国寺は、東京メトロ有楽町線の駅名というだけでなく、交通情報では首都高池袋線の「護国寺」などなど、地名としては聞いたことがある方も多いかもしれません。
我が家でも、この護国寺の前をよく通るのですが、妻と子供がどんなところか入ってみたいと言うので、散歩がてらお参りです。
護国寺は、5代将軍徳川綱吉の生母、桂昌院が建立したお寺です。
江戸時代は5万坪を超える大きな寺院だったそうですが、明治になり領地内に皇室の墓地(豊島岡墓地)などができ、今は江戸期の半分ほどの大きさになったそうです。
とはいえ、今でも2万坪以上の大きな寺院。都心には、このような広い寺院は数えるほどしか残っていません。
岡の上の本堂まで、階段を登って行きます。
現在の本殿は、元禄10年(1697年)建立。当時のままの姿です。
ぜひ、本殿まで来たら履物を脱いで本殿内部を参拝させてもらいましょう。
本殿内部は撮影禁止なので画像で紹介できないのですが、建立当時のままの天井の絵や柱、そして数多くの仏像が並び、まさにプチ京都気分が味わえます。
もし仏像にご興味があるなら、毎月18日の本尊如意輪観音のご開帳日にお出かけになることをおすすめします。大変素晴らしい如意輪観音様です。
こどもみくじ(100円)がありました。
すべて、ひらがなのルビがふってあり、こどもにも読めるおみくじです。
「へたなことでも まごころ こめて がんばり ぬいて かちましょう、」とありました。
得意なことだけを伸ばせばいいというのではなく、苦手なところも真心こめて、がんばりぬく、大切なことだと思います。
大人にも十分通じる教訓です。
富士塚登山
「音羽富士」という案内を見つけました。
川のない石橋を渡って行った先に・・・
ありました富士塚です。
江戸時代、江戸庶民の間では富士山にお参りする、富士山信仰が盛んでした。
とはいえ、富士登山とはそう簡単にできるものではありません。
そこで、江戸時代の人々は富士山にみたて人工の山を築き、気軽に富士登山ができるようにしました。それが富士塚です。
名所江戸百景 目黒新富士 広重
どれほどの数の富士塚が江戸市中に築かれたか、はっきりとした数はわかっていないそうですが、現在でも東京都内に50ほどの富士塚が確認されているそうです。
その中でも有名な江戸七富士の一つが、この音羽富士です。
ちゃんと何合目かの石碑も建てられています。少し登って、一合目。
まだ二合目、先は長いです・・・。
と、ここで4歳娘は何かを発見したようです。
「数え天狗じゃない?」
(数え天狗「おかあさんといっしょ」出てくる数をかぞえることを使命としている(?)天狗のキャラクター)
奉納された鳥天狗の絵のようです。
登山しながらこういう発見も楽しいですね。
ようやく半分ほど登って来ました四合目。
八合目が見えて来ました。もう頂上は近いです。
実際の溶岩と思える岩も多数あります。ここまで運んでくるのも大変だったことでしょう。
無事に頂上へ到達です。
頂上から下界を見渡すと、こんな感じです。
あっという間の富士塚登山です。
お出かけした時期は3月下旬、お釈迦様の生まれた花祭りに近いせいか、甘茶をかける誕生仏が護国寺の入口に置かれていました。
4歳娘は入る時もかけたのですが、帰りもかけたいということで、甘茶をかけて護国寺を後にしました。